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沖縄戦の戦闘経緯→慶良間列島・沖縄本島上陸→本島北部・伊江島の戦闘→ 本島中部・首里の戦闘→本島南部の戦闘→大東諸島の戦闘→宮古・八重山の戦闘
本島北部は、一般住民の疎開地域に指定されいた。 守備軍は国頭支隊(くにがみしたい)や遊撃隊などが配備されているだけであった。米軍は4月13日までに辺戸岬(へどみさき)に達し、4月20日ころ本部半島を制圧した。一方、伊江島は当時、東洋一と言われた飛行場が建設され、守備隊が配備されていたために、米軍の主要な攻撃目標とされ、4月16〜21日にわたる戦闘で、一般住民約1,500名を含む4,700名余が犠牲となった。